坂本龍馬といえば日本史の中でも常にトップランクの人気を誇る有名な偉人の一人です。
なぜそんなに人気なのか?
そんな人気の秘密に迫っていきます。
日本の夜明けぜよ
今回そんな幕末の英雄を中田敦彦のYouTube大学で取り扱っていましたので感想含めて説明していきたいと思います。
坂本龍馬の生涯を壮大なスケールで描き上げる司馬遼太郎のベストセラーです!
坂本龍馬の歴史
土佐の下級武士(郷士)の子として生まれた龍馬は幼少期から剣術を習います。
19歳
そして剣術の勉強に江戸に留学しているときにペリー来航(黒船)を目の当たりにします。
それまで見たことのないようなテクノロジーに触れた龍馬は土佐に帰り河田小龍にその衝撃を伝え教えを受けます。
幕末から明治にかけて活躍した絵師。土佐では有名な知識人であり、ジョン万次郎の取り調べを行い、その西洋事情などをまとめた「漂巽紀略」を著した。この西洋の事情や思想は坂本龍馬をはじめとする多くの志士たちに影響を与えたとされている。
この当時の日本は「異国船打払令」で知られるように海外勢力に対し追い払うのか、迎え入れるのかなどどう扱えば良いのか揺れていた時代です。
そんな中、海外のことをよく知っている人に教えを受けにいくというところが後の龍馬に影響を与えるポイントです。
坂本龍馬の生涯とは海外の衝撃と日本の変革をすり合わせていくことにその大半を使っていくのです。
27歳
海外のすごさを教えられる龍馬ですがまだまだ思想や考え方が揺れている時代。武市半平太で有名な土佐勤王党(尊王攘夷)に参加したり、吉田東洋という知識人の公武合体という考えにも触れていきます。
幕末期の思想・考え方
- 尊王攘夷(そんのうじょうい)=尊王(拠り所を天皇に求め崇拝する考え)と攘夷(外敵である諸外国を打ち払う考え)を合わせた考え
- 公武合体(こうぶがったい)=朝廷と幕府が協力して難局を乗り切ろうという考え
- 佐幕派(さばく)=江戸幕府を支持して難局を乗り切ろうという考え方
- 倒幕派(とうばく)=江戸幕府を倒し、新政府を樹立しようという考え方
- 開国派(かいこく)=鎖国をやめて諸外国との外交で富国強兵を目指す考え方
そんな中で龍馬は再び江戸に行き勝海舟に弟子入りします。
勝海舟のところへ殴り込みに行ったら、その考えに感服してそのまま弟子になったなんていう話もあるよね
勝海舟は海外のことや日本の現状をもよく分かっていて、今の日本を先進国と渡り合えるように変えたいと考えていました。その為に海軍を作る必要があるとして龍馬にリーダーを任せます。
任せられた龍馬は資金集めに奔走する訳ですが、そこで松平春嶽という藩主に資金面で助けられます。
龍馬がブーツを履いていたのはたくさん走り回るからワラジではきつかったという説があるらしいよ
そんな中、龍馬は薩摩藩の西郷隆盛や長州藩の桂小五郎に出会っていきます。
この出会いが後に有名な「薩長同盟」に繋がっていくのですが、当時の薩摩・長州は過去の遺恨や思想の違いなどから犬猿の仲と言っても良い程、両藩は馬が合わずにいました。
31歳
龍馬は「亀山社中」という会社を設立し、ビジネス的な発想・やり方で薩摩・長州を結び付けていくのです。
- イギリスから武器を仕入れて売りたい薩摩
- 幕府から孤立させられ武器が買えない長州
薩摩と長州どちらにもメリットになることをしたんだね
龍馬が妻であるおりょうと結婚したのもこの頃だと言われています。
日本で初めて新婚旅行をしたと言われているよ
33歳
同盟後、薩長の強烈な倒幕という流れになっていきますが、戦争にはなってほしくない龍馬はなんとか調整しようと奔走します。亀山社中という社名を「海援隊」に変更したのものちょうどこの頃です。
土佐の後藤象二郎に新しい国のビジョンがあるとして語ったのが「船中八策」として有名です。
- 朝廷への政権奉還(大政奉還)
- 二院制議会の設立
- 平等な人材登用
- 憲法の制定
- 外国との不平等条約の改定
- 海軍の拡張・増強
- 親兵を置き帝都を守衛
- 金銀レートなど通貨政策
これは後の明治政府「五箇条の御誓文」の元になったという説もあるくらいです。
龍馬はそれほど新しい考え方を持っていたんだね
諸説ありらしいけどね
そして大政奉還がされ、新しい明治という時代がついに来る……というときに何者かよって暗殺されてしまいます。
「いったい誰に?」という疑問は幕府説(見回り組・新選組)、薩摩藩説、土佐藩説、長州藩説など他にも様々な説があり、未だ謎に包まれています。たくさんの説があるということはそれだけ龍馬の人気が高いことの証明とも言えます。
まあ幕末の志士たちはほとんど暗殺されてるらしいよ
怖い時代だ
33歳という若さで生涯を終える坂本龍馬。
その短い生涯の残り3年で強く輝き一瞬で消えていったからこそ鮮烈に我々の心に残っているのかもしれません。
スラムダンク的な?
坂本龍馬がその後に与えた影響
龍馬が設立したと言われる「海援隊」今でいう株式会社のような組織ですが、明治政府によってその後解散させられます。
ですが、そのメンバーである岩崎弥太郎が中心となり土佐開成商社を創設。その社名を九十九商会と変えながら造船事業などで事業を拡大しながら現在の大企業でもある「三菱」になっていくのです。
三菱のマークは
- 岩崎弥太郎の岩崎家の家紋(三階菱)
- 土佐の山内容堂の家紋(三つ柏)
を組み合わせて作ったとされています。
え?つまり大企業三菱は元々海援隊だったってこと?
そう考えると坂本龍馬って今の日本経済にめちゃめちゃ影響を与えているよね
他にもその海援隊のイズムを受け継いだのがあのソフトバンクの孫正義氏と言われています。
孫正義氏が中学時代「龍馬がゆく」を夢中になって読んだそうです。当時、重罪とされる脱藩というリスクを冒してでも自由を求めたその龍馬の生き方に感銘を受けたと言われています。
そして孫正義氏は
- 「勝海舟に会いにいった龍馬」のように日本マクドナルド創業者藤田田氏に会いに行き
- 「龍馬の脱藩」のような志で渡米したというのです。
だからソフトバンクの現在のロゴマークは海援隊のマークに類似しています。
坂本龍馬が意外なジャンルで現在にまで繋がっているのが面白いね
時代には常に変わり目というものが存在し、そんな変わり目には必ず動く人たちがいます。
「新しいものを作りたい」「日本を新しいステージに変えたい」という情熱のある彼らが
海援隊の行動力やイズムに憧れ継いでいったからこそ坂本龍馬という人は憧れられ続けているのです。
坂本龍馬はただ単に強かったとか大軍を率いてということでないにも関わらず人気なのはそういうところなのかも知れません。私たちも坂本龍馬を見習って新しいものを手に入れるために挑戦するんだというマインドが大事だと感じました。
頑張ります
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