どうして戦争が起きてしまうのか……
「どっちも正しいと思っているよ。戦争なんてそんなもんだよ」ってドラえもんが言ってたよ。
それぞれの正義があってそれぞれの思想や主張があるという考え方の中で
今回のロシア軍のウクライナ侵攻に関してニュースを見ていてもお互いがそれぞれをどう思っているのかなど食い違っている部分があるのが分かります。
どうやらロシアは「ウクライナをロシアの一部」だと思っており
ウクライナは「そうではない」という雰囲気が感じ取れます。
- それは一体いつからなのか?
- どんな歴史があったのか?
この辺のことを中田敦彦のYouTube大学で取り扱っていましたので、感想踏まえて分かりやすく解説していきます。
物語形式でウクライナの歴史が非常に分かりやすく描かれている良書となっております。
ウクライナは世界史の中心的役割を担っていたのでは?というくらい歴史の交差点になっていたのです。
このウクライナを通して見たロシアというものがどのように映るのか。
現在起きている戦争がウクライナ・ロシアそれぞれの人々にどう思われているのか。
この日本人が最も理解しずらい東ヨーロッパの歴史を理解することで今回の戦争や、これからのニュースがかなり頭に入ってくるようになるはずです。
ウクライナという場所
まず、ウクライナという国の場所ですが、黒海の北に位置しており、ロシアの西側でヨーロッパの東側……
つまり、ロシアとヨーロッパのど真ん中となる挟まれている位置になります。
この黒海の北という場所はここからしか海に出られないという特徴があり、だからこそロシアにとっての(凍らない)海への入口と言える重要な土地となっているのです。
今回は国や民族ではなくそんな「土地」にフォーカスした話になっていきます。
なぜならば過去この土地をベースに色々な民族や国家に占領されたりしてきたので一つの統一国家や民族という訳ではないのです。
この辺りの話が、今まで一つの民族でやってこれた日本人にとって理解が難しいところでもあります。
日本は海に囲まれてるしね
スキタイ民族
まずは時を遡って古代。ヘルドトスの「歴史」の中で紀元前7世紀にスキタイ民族と呼ばれる民族がいたとされています。
これは古代中国の司馬遷「史記」の中で出てくる匈奴(きょうど)という異民族と同じ民族を指しているのではないかとも言われています。
そーいえばキングダムで李牧が匈奴の大軍をやっつけたみたいな話あったな……あれか。
ヘルドトスの「歴史」が関連している漫画です。興味のある方はどうぞ▼
このスキタイ民族は遊牧民族であり戦闘民族であったとされています。大きな一大覇権を築きあげた彼らは大きな古墳のようなお墓を作り、その中の副葬品などが芸術的であったことから非常に豪華な暮らしをしていたことが推測されます。
スキタイ民族の戦い方は「焦土作戦」で疲弊したところを叩くという撤退焦土作戦を得意としており、それがこのウクライナという土地をよく表した特徴であるとも言えます。なんとウクライナはナポレオンやヒトラーの侵攻によって過去二度も大きな撤退焦土作戦の舞台となっている土地でもあるのです。
つまり大きな戦争の戦場となり、焦土作戦によって破壊されたのがウクライナという土地……。
このような歴史の悲劇を予感させるような民族が過去にいたということです。
そんなスキタイ民族は暮らしが豪華になるにしたがって弱体化していったと言われています。そして他の民族によって滅ぼされていきました。
キエフ・ルーシ大公国
やがて遊牧民族の時代が終わり農耕民族の時代がやってきます。
農耕民族としてウクライナを制圧したのが「スラヴ民族」です。この民族は農耕民族だったこともあり戦いの記録を残さないことから歴史で知ることが難しく、その広まり方は不思議であっという間に広まったとされています。
この「スラヴ民族」と北欧から来た「ルーシ民族」が作ったのが「キエフ・ルーシ大公国」だと言われています。
大きい国キター!
公国?王様がいる王国じゃないの?
「公国とは貴族を君主として有する国」って意味だけど、ここではそんな気にしなくて良いよ。
この「キエフ・ルーシ大公国」という国こそが現在のウクライナ・ロシアの仲違いの原因ど真ん中にある国です。
この「キエフ・ルーシ大公国」とは中世ヨーロッパにおいて最盛期にはヨーロッパで最大の領土を誇ったという伝統と栄光の王国です。ロシアもウクライナもそのルーツはキエフ・ルーシ大公国に遡るとされています。
そーいえばウクライナの首都は「キエフ」だな
かつて一大栄華を極めた憧れの大公国の首都がキエフであり、それは現在のウクライナの首都でもあるのです。
逆にロシアの首都モスクワはその当時、たくさんあった公国の中の一つ「モスクワ公国」でした。つまりこの当時はモスクワよりキエフの方が大きな主要地点だったのです。
日本で例えるならキエフは京都みたいな感じかな
じゃあモスクワは東京か
日本は京都と東京が現在も同じ国内ですから良いですが、もし違う国になっていたら……それぞれの地域で日本のルーツを考えた時、難しくなりませんか?
確かに
だからこそ「キエフ・ルーシ大公国」を自分たちのルーツだと考えるロシアにはキエフは自分たちのものだと考える意見があるのです。
やがてこの「キエフ・ルーシ大公国」は人口を拡大していったことで、そのコントロールが難しくなっていきます。
そんな中、中世ヨーロッパの大きな個性とも言えるキリスト教の国教化が始まります。一言でキリスト教と言ってもその宗派は色々とある中で「キエフ・ルーシ大公国」はギリシャ正教(後のロシア正教)を選択します。これは東ローマのビザンツ帝国の影響を受けており、ローマカトリックとは違う宗派となっていくのですが、その辺りが現在のロシアがヨーロッパと相容れない関係となっている原因にもなっています。
EUにトルコが入れない問題もこの宗教の影響だよ
その後「キエフ・ルーシ大公国」も王位継承問題などで衰退していき、最終的にはモンゴル民族の侵攻などで滅ぼされていくのです。
リトアニアとポーランド
モンゴルの支配がなくなった後、この土地は以降分割で支配されていきます。
まずこの頃は、貴族と農民奴隷などで貧富の差が出てくる時代で「ポーランド」や「リトアニア」という豊かな国に分割統治されていきます。
この分割が歴史を複雑にさせるよね
また、「ウクライナ」という地名が出てくるのもこの辺りの時代です。
この「ウクライナ」という名前はロシア語で「辺境(田舎)」という語源があり、それもまた現在のウクライナ・ロシアの仲違いの原因となっている一つです。
栄光の王国であったキエフは分割統治をされその地位を低下させる中で、モスクワは逆にだんだんと力をつけて台頭していくのです。
コサック国家
分割統治で虐げられてきたウクライナは「コサック」という武装集団を結成します。
フメリニツキーというリーダーとこの地に残ったモンゴル民族「タタール」が共同でポーランド王国を一時的に倒し、「コサック国家」という独立国家を作ります。
その後ポーランドに巻き返しを図られたコサックは、なんとモスクワに助けを求めます。ウクライナにとってコサックとはその独立や民族を守ろうとした団体なのですが、そのリーダーがモスクワ協定を結んだことで皮肉にも「モスクワに守られる」という立場がスタートしてしまうのです。
当初ポーランドから守るという目的がいつの間にか北欧のスウェーデンと戦うことになったりなどコサックはモスクワの管理下に置かれていくのです。
コサックダンスってロシアのイメージあるのはそーいうことか
そしてそれを決定づけたのは「ピョートル1世(後のピョートル大帝)」の躍進です。ピョートル1世は中央集権体制で政治コントロールや軍事の力を高め、大北方戦争で北欧スウェーデンを打ち破り、圧倒的にモスクワの地位を上げてロシアという大国にしていきます。
そしてこのロシアという命名もウクライナのアイデンティティであったキエフ・ルーシの「ルーシ」の部分を取ったと言われています。
自らをピョートル大帝と名乗り、ロシアを「大ロシア」ウクライナを「小ロシア」と名付け、両国の皇帝であるとしたのです。
プーチン大統領はピョートル大帝画を部屋に飾るほど憧れているらしい
もう1000年以上この話題で争っているのです。
ロシア帝国とオーストリア帝国
ロシア帝国によって治められるようになったウクライナですが、それは全体の8割ほどでした。
残りの2割を治めていたのはオーストリア帝国です。
また分割だ
そしてそれは後の悲劇を生むことになります。
そんな中、ロシアは壁にぶつかります。それが1853年「クリミア戦争」です。
黒海を抑えるうえで重要拠点となるクリミアをトルコと争うことになるのですが、トルコのバックにはイギリス&フランスがついていました。そして産業革命による圧倒的な力を味方にしたトルコが勝利を収めるのです。
敗戦以降ロシアは急速に工業化を目指します。
この「バックにはイギリスが……」ってのはこの時代のお馴染みだよね
日本の明治維新も倒幕派のバックにいたのはイギリスだしね
世界大戦と共産党
急速な工業化は裏目に出ます。劣悪な労働環境と資本家と労働者の格差が進み、それが後のロシア革命を生みます。しかもほぼ同時期に第一次世界大戦も始まります。
第一次世界大戦
フランス
イギリス
ロシア
他
VS
ドイツ
オーストリア
他
あれ?ウクライナやばくね?
なんと分割統治をしているロシア・オーストリアが敵味方に分かれ争うことになり、ウクライナはその戦場のど真ん中になってしまうのです。
ロシアとヨーロッパの狭間にあるあまりにも重要な場所ということで常に戦いの渦中となり、それがウクライナにとっての悲劇となっています。第一次世界大戦はまさにそれが顕著に表れる結果となりました。
そんな戦争費用で国家がグラついているときに労働者の不満が爆発します。つまりロシア革命です。
資本家打倒を掲げるレーニン率いる「ボリシェヴィキ」という団体による「国家が主導して物を生産して全員に平等に分配すれば格差は生まれない」という思想のもとに共産主義運動の爆発が起こります。これによってロシア帝国は崩壊します。
それを受けてウクライナでも「ラーダ」という共産主義の団体が出てくるのですが「ボリシェヴィキ」と対立することになり、敗北することになります。これによって他の国が独立していく中、その流れに乗れずにウクライナは一地域のまま独立することが出来なかったのです。
ソビエト連邦
そしてそのレーニン率いる「ボリシェヴィキ」が作り上げたのがソビエト連邦です。
当初は色々な国の集合体なので脱退も可能だったらしいのですが、レーニンの後を継いだ「スターリン」が一つの国としてまとめ上げます。
スターリンは社会主義化と工業化を推し進める中で農業や農家に対してより過酷な「集団農業化」と言われる施策を取ります。この施策やその混乱によって大飢饉が起き、大量の穀物を調達させられたウクライナもそれによって大量の餓死者が出るなどの悲劇を生みます。ウクライナの人にとって宗教などの文化も破壊されたこのソ連時代はまさに地獄でその悲劇は今でも大きな爪痕を残しています。
そんな悲惨な状況下でウクライナは第二次世界大戦に巻き込まれていきます。そう……あの「ナチス」がやってくることで再び戦場になっていくのです。ナチスの行ったユダヤ人大虐殺で大量の命が失われ、ソ連の行う焦土作戦で建物は壊されウクライナはとんでもない被害に遭います。
結果的にはその焦土作戦でソ連が巻き返し、ナチスドイツが敗れ第二次世界大戦は終わるのですが、英チャーチル・米ルーズベルト・スターリンがその戦後の体制を話し合った「ヤルタ会談」はクリミアで行われていたというのは運命を感じます。
第一次世界大戦も第二次世界大戦も、その中心に置かれたのはウクライナという土地でした。
そして戦後ソ連はアメリカとの冷戦の中で劣勢に立たされます。アメリカとの無理な競争、社会主義というものの矛盾、経済的な大混乱……。
ソ連最後の大統領になった「ゴルバチョフ大統領」は情報を開示して今までの隠ぺい体質を改善しようとしますが、そんな中、ウクライナで「チェルノブイリ原発事故」が発生します。諸外国に2日間報告しなかったという隠ぺいもあり、とんでもない被害となり混乱は止まりません。もうどうしようもないという状況下でエリツィンのロシア独立という流れの中に巻き込まれ、ウクライナも1991年独立することになるのです。このウクライナ独立によってソ連は崩壊となります。
まとめ
この巻き込まれて独立する形になったウクライナをロシアは虎視眈々と狙っていました。
ロシアの言い分は昔から変わっていません。
あそこは「小ロシア」であり「辺境の地」。我々が守り続けてきた海への出口である。
ロシアはエリツィンが出来なかった経済立て直しを次のプーチンがその豊富な資源によって立て直し、もう一度大きな力を得ました。
そしてまたウクライナに歩みを進めた……それが「現在」なのです。
どうでしたか?現在起きていることを理解するためには歴史を知ることが大事なのです。
改めて歴史という世界史が私たちと全く関係ない世界ではなく、その歴史の延長線上に現在というものがあり、その世界史の中に私たちがいるということを強烈に自覚して頂いたのではないでしょうか。
一つ一つを点で見るのではなく、線にすることが大事になってきます。
歴史上の様々なポイントがロシアとウクライナの関係をこじらせ、そしてそれが現在の戦争となっています。
この戦争は一体どこに向かっていて、我々は何を目撃しているのか。
第一次世界大戦も第二次世界大戦もウクライナはその中心でした。
私たちが最も恐れているのがこの戦争が拡大することですが、そうならないとも言い切れない状況の中で今回のニュースというものをしっかり勉強して何が起きているのか知ることは人類としての使命だと思います。
一日でも早い終息を心から願うばかりです。
歴史好きな方はこちらもどうぞ▼
本編動画はこちら▼